イタリアでコロナウイルス感染拡大

イタリア コロナウイルス
イタリア コロナウイルス

北イタリアでのコロナウイルス拡大が世界的なニュースとなりこちら現地でもひっきりなしに騒がれています。現在では感染者は200人超。

感染者がいるミラノ郊外では通行禁止区域となり、ミラノでも市内の学校は1週間休校、ミラノ大聖堂なども封鎖されているそうです。

不安が広がる中、スーパーでの買い占めが起こっているとのことで私も地元の普段通うスーパーに行ってみましたが、そこには驚愕の光景が広がっていました。

イタリア コロナウイルス

イタリア人の主食であるパスタ、そして水がすべてなくなっております。なんとまあ、私もイタリア生活14年ほどになりますがこんなことは初めて。肉類、缶詰もありませんでした。まるで世界の終りのような光景です。

その中でトマトソース関連の商品もすべてなくなっていたのですが、これもまた国民性だなと思いました。 日本人は醤油が切れると大騒ぎですが、 やはりイタリア人にとってトマトソースは食卓には欠かせないものなんですね。

肉類はすべて売り切れていたのに、魚介類はいつもと同じように並んでいました。魚介類は保存食には適さないということなのでしょうか。

いずれにせよ今月はもう仕事どころではないというような騒ぎです。早く鎮静化するよう願いますが、皆様もお気をつけてお過ごしください。

イタリアミラノで盗難にあった出来事 その2

Dona YooによるPixabayからの画像

二度目の盗難事件が起こったのは、その1から1年ほど過ぎたころでした。ちょうど一年ほど経って気が緩んでいたというわけではないのですが、あれは今思ってもさらに手の込んだ手口でした。

ミラノ市内に車を駐車していて、同乗者と一緒に車に乗り込みました。車を発進させると横にボロボロの原付バイクに乗ったアラブ人と思われる男性が並走しながら指を差してきました。なんだろうと怪訝に思っていると車のタイヤがパンクしていることに気が付きました。

またたく間に私の車のタイヤからは大きな異音が発せられ、大きな音を出していました。それをバイクに乗ったアラブ人がしきりに指を差しているのです。パンクしているぞ、ということを言っているのだと思いましたが、以前の経験からこれは何か胡散臭いなと思いました。一旦アラブ人のことは無視することにし、パンクしたまましばらく車を走らせました。

しばらく走っていると、今度は赤いボロボロの原付バイクに乗った白人男性も並走してきて、しきりにタイヤを指差しました。私はわかっているというように手を横に何度か降り、それも無視することに決めました。

その時は予約したレストランに向かう途中で、5分ほどパンクしたタイヤのまま(騒音を出しながら)走ってレストランに到着しました。とりあえずレストランの前に一時停止し、同乗者に降りてもらってレストランにて待ってもらうことにしました。

レストランの少し先にちょうど駐車スペースがあったのでそこに車を駐車しました。その時、コンコン、と車を叩く音が聞こえました。サイドミラーを見ると最初に指さしてきたアラブ人が映っていました。彼はバイクにまたがったままです。どうやらアラブ人が車の後ろの辺りを叩いたようです。

私は車を降りるとすぐに車を施錠をしました。

「今警察に電話したぞ」とアラブ人はイタリア語で私に言いました。

「警察に電話したってどうゆうこと?」と私は聞き、数十秒ほど意味のわからない話をしていました。なぜこの男が警察に電話し、一体何の目的なのかさっぱりわからなかったからです。

その時背後でバイクの排気音がして振り返ると、さっき見た赤いバイクの白人男性が遠ざかってゆくのが見えました。振り返ってそれを見ていると、目の前にいたアラブ人もバイクのエンジンをかけていなくなりました。

一体今のはなんだったんだろうと思いましたが、ひとまず2人がいなくなったので少し安心しパンクの状況を見ようと車を回りこみました。

なんとそこにはパンクしたタイヤと、その向こうに少しだけ開いた助手席の扉が見えたのです。あれ?と思いましたが、時すでに遅し。助手席に置いていたはずの鞄がありませんでした。

どうゆうこと?ドアは施錠したはずなのに、と最初は理解できませんでした。

おそらくはまた今回も私の車をパンクさせて2人組の男はどこかで待っていたのでしょう。これは私の仮説ですが、アラブ人が運転手側の車の後ろをノックした際に、すでにもう一人の男が助手席側のドアノブをかがんで掴んでいたのだろうと思います。ドアにロックがかからないように。

そして私と意味のない会話(わざと意味のわからない話)をすることにより注意を反らし、その間に鞄を持って行ったということです。

いずれにせよ今回はさらに周到に仕組まれた犯行でした。タイヤをやられたら危ないとは思っていたものの、まさにプロの技という感じです。

結局また財布やら携帯やらいろいろが入った鞄ごと盗まれ、それ以後は携帯はズボンのポケットなどに身に付けて持ち歩くようにしています。

それ以来、約8年ほどスリや盗難などの被害はなく過ごしています。もちろんこれはイタリアに限ったことではなく発生しうる可能性のある盗難事件です。

皆様もお気をつけてお過ごしください。

イタリアミラノで盗難にあった出来事 その1

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像
OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

えっ、そんなことあるんですか、やっぱり。という話になりそうなんですが、その1ということはもちろんその2もあります…。

最初の事件が起こったのはちょうどipad miniが発売されたときのことなので10年ほど前の事になります。

ipad miniが発売したばかりの頃はどのお店に行っても品切れでなかなか手に入りませんでした。
私もいろいろと電気量販店を回っていたときのことです。
駐車場に戻ると私の車の前輪がパンクしていました。あれ、どこかにぶつけた覚えもないのにな、と思いましたが、とにかく修理しないと動けないので車載工具を使ってタイヤ交換を始めました。
無事にタイヤ交換が終わり、一息ついたところで、車内に置いていた鞄が無いことに気が付きました。


そう、犯人は恐らく男一人(タイヤ交換できそう)、鞄を持っている(貴重品を身に着けていない)、という人物に狙いを定めて待っていたようです。
私の車にナイフか何かで穴を開け、タイヤ交換し始めて注意が散漫になっているうちに鞄を盗んでいったということです。
最初は少しパニックになり、何か起こったのかすぐにはわかりませんでしたが、考えてみるとそういうカラクリなんだと気が付きました。

鞄の中には財布はもちろん、IDや携帯も入っていたので、電気屋に戻って電話を使わせてもらい銀行カードなどを停止しました。

ipad miniを買うつもりだったのでこんな時に限ってある程度の現金も持っていました。タイヤも買い替えとなり結構な痛手になりました。

こうゆうことがあったと知人に話したら、タイヤをパンクさせ鞄を盗むという手口は昔からあるそうです。

もちろん盗難やスリはイタリアに限ったことではありません。実はヨーロッパで一番スリが多いのはベルギーなんだとか。

これに少し似たような事件がまた起きるのですが、それはまた次回。

新型コロナウィルスとマスク

MadeinitalyによるPixabayからの画像
MadeinitalyによるPixabayからの画像

イタリアでも新型コロナウィルスのニュースでもちきりで、WHOの発表を受けてイタリア国内でも非常事態宣言がされました。中国の発着便はストップされています。

イタリアでは中国人2名が感染者ということで、ローマの病院で隔離されていると言われています。

日本ではどうなっているのかわかりませんが、春など花粉の季節にはマスクをしている人がかなり目立ちますよね。

イタリア人はマスクをするのかと聞かれれば、ほとんどしない、という状況です。じゃあ春に花粉は飛ばないのかと言えば、かなり飛んでいるようで花粉症の人はかなり煩わしいようです。

日本人は自分を守るだけではなく、周りの人に迷惑をかけないために、という意味でもマスクをする場合があるとは思いますが、正直イタリアでマスクをしていると非常に目立ちます。それぐらい皆しない、ということですね。

昔サーズ( SARS )が流行ったとき、シンガポールの空港で多くの人がマスクをしていたのを記憶しています。アジア圏の人が予防に対して関心が高いのかもしれませんし、イタリア人はもしかしたらファッション的にマスクなんてつけないぜ、って感じなのかもしれません。

いずれにせよ早く事態が鎮静化するといいですね。

自己紹介

Photo by Inga Gezalian on Unsplash
Photo by Inga Gezalian on Unsplash

サイトも新しくなったので、今回は改めて自己紹介です(笑)いい歳して鏡を見るようなもので、気恥ずかしくはありますが…。

簡単なプロフィールは掲載しており、あまり自分のことばかり書いてもしょうがないとは思うのですが、読んでいただける方はお付き合いください。

私は1976年生まれ、富山県の高岡市出身です。富山県っていうと「住みやすい県1」などど言われるところですが、あまり天気が良くなく、そのせいかどうも垢抜けないような印象があります。これは私見なのでそうじゃないという意見もあるとは思いますが、大学卒業後(金沢の大学卒)から頻繁に海外にでるようになり、地元に帰るたびに地元についてそう思うようになっこともあり、いずれは海外に住もうかなとぼんやりと考えていました。環境や天気ってやっぱり大事ですよね。

20代のころはいわゆるバックパッカーのようなことをしていろんな国を渡り歩きながら、小説を書くという日々を過ごしていました。お金がなくなると日本に戻って仕事をし、お金が溜まると海外に行って小説を書く。今にして思えばそれはそれで優雅な暮らしだったのかもしれません。当時は特に作家になりたいと思っていたわけではなかったのですが、段々と20代も後半になってくると作家になれなかったらどうしよう(笑)、という焦りもあったように思います。

そうゆう夢のような暮らしが終わったのがイタリアに住むきっかけになりました。旅先で知り合った女性がミラノの出身で、子供ができたことによりイタリアに移住。それ以来フリーランスとして活動し、執筆やアテンド通訳、教育関係の仕事をして生活しています。

イタリアに移住してきてからもう13,14年ほどは経つので、振り返ってみればよくフリーランスでなんとかここまでやってきたな、いろいろと有難い縁に恵まれたなと思っています。

よく才能とは好奇心であるというふうに言われますが、イタリアミラノは興味さえあれば、独自の文化、歴史もあってそれほど飽きることはありません。 ありきたりではありますが、食べること、お酒、音楽、絵画などが好きなので、そうゆう意味で土地には恵まれているんだろうなと思います。

趣味はギター、バンド。イタリア人、日本人ともバンドをやっています。今回はこんな感じで、今後は自分のことは控えめに、私というフィルターを通したイタリアの魅力など綴っていこうと思っています。最後に、趣味の動画ですが、、、もし、興味があればご覧ください。